柳華陽の、金仙証論(その1)
ネットで検索してもこれについて詳細な記事が出てこないので、忘備メモとしてブログ記事をあげておきたい。
今回の記事は、
柳華陽の、
金仙証論
https://zh.m.wikipedia.org/wiki/%E6%9F%B3%E5%8D%8E%E9%98%B3
これの全訳を現代日本語で示す。
内容が比較的多めなので、適宜、
(その1)(その2)…として、シリーズものの読み物になるでしょう。
柳華陽は、1736年、清代、中国の南昌市生まれ、詳しい経歴は謎に包まれています。若い頃は科挙を目指し、それから禅宗に出家し、中国の道教である全真教の門を叩いたそうです。
推測するに科挙を目指したからには、当時、かなり恵まれた良家の生まれだったのではないでしょうか?
没年は、謎です。したがって、彼がどのような人物であったのか謎なのであって、その遺した書物から彼の文章が読めるだけです。
彼が著した「金仙証論」は、1799年に書物として刊行され、中国道教の内丹法を示した内容になっています。
「金仙証論」は、「伍柳派」の集大成でもあり、当時から「通信教育、空手」(笑)のように、「この一冊を読めばあなたも強くなれる!」みたいな、堂々たる主張を前書きに持ってきています(笑)
「金仙証論」の前書き(緒言)には、こう書かれています。(ここは、意訳です)
「わたしは座禅と内丹の方法を修行して、悟りを得ました。わたしがここに著す、秘密の修行を行えば、それは仏教と道教の奥義を得るものであり、誰かに師事したりする必要はない。」
うーむ、のっけから、「通信教育、空手」みたいな勢いがあります。この本一冊で、奥義まで悟れる!と。そう断言しまくっておるのです。
この書物は、清代の(おそらく)ニートが、書き残した、中国道教の奥義なのです(笑)
またしかし、世に姿を表されなかった柳華陽は、しかしながらこの書物を刊行したことによって、現代中国に至るまでの気功法の原型である、「内養功」のプロトタイプを遺した訳であります。
現代に残る、まだまだ実践者がいる気功法などは、意守丹田(いしゅたんでん、=下腹部に意識を置くこと)などや、特定の経脈を気づかいますが、
その原型は、この柳師の、この書物の影響下にあるものと言えます。
胡散臭く、さらにヤベぇー臭いがプンプンしてきます。あたかも、胡散臭い繁華街でフードを深く被ったお兄さんから「へへへぇ〜、ねぇ、旦那ぁ、あなたのほしいモノ持ってるよ?ちょっと見ていく?」と声をかけられた時に、感じるような境涯であります。
さて、次回からはこの一冊を現代日本語訳にして、細かいことは現代的な観点から意訳せずに、そのままの原意を伝えようと思います。
それというのも、この書物は、中国気功法のバイブル(聖書)みたいなもので、現代的な観点からの解釈は原意を損ないかねません。
またわたしは専門家ではないので、いくらか原文の翻訳に失敗するかもしれません。ただし大意としては、原文そのままの翻訳になります。
(続く)
ダイエット方法は効果があるか?
さて、今回はこの誰も見ていないブログで、ダイエットの話題を取り上げたい。
なぜダイエットか?対象年齢と性別や文化などによって、その目的と意味合いは異なるが、少なくとも2022年現代日本においては、「肥満盛りの40代」以降であっても、残念ながらデブは駄目やん!みたいな風潮が蔓延しているように思えてならない。(全然そうは思えないが)
私自身はダイエットにかなり興味ないのだが、少食になる習慣はとても長所があり、それを少し。
試しに、2日に一食をやってみたり、一日絶食してみたり、少食をやってみたことが最近ありました。
その時は、極めて身体の調子がいい。
その時はさすがに腹が減る。空腹である。
空腹にはピークがあり、それをやり過ごすと、心身の状態がクリアーになり、特に眠気がかなり減少される。そしてその時は腹が立ちにくくなる。
古来、断食療法などの、民間健康療法は「断食によっていろいろな健康効果がある」という事実から立脚してきたものではないか。
いずれにしても、気分がよくなり、覚醒度は増す。
さらに現代では、食への考え方が変わり、ヴィーガンや、完全栄養食など、食へのアプローチも変わってきた。
私自身は、厳格なカロリー計算や、厳密なデータを取って少食をやったりしてません。一日ほぼ何も食わない代わりに、ポテトチップスを二袋食べたりしてるので、カロリーも栄養価もほとんど無視であります。したがって、健康オタクみたいな人には、かなり咎められるかもしれない。
食という実験であります。
これは、やってみればわかるというだけの話であり、これ以上は言えることがない。
おそらく少食が健康に期するものがあるのは、古代われわれの祖先が、食べることもままならぬ飢餓状態で、多くの時間を過ごし、それに対してわれわれの遺伝子とその組成が適応しているからではないか。
そのような曖昧な言辞で、この記事を締めくくろう(笑)
Grubの黒い画面が出てきたあと、Windows10を起動する方法
下記のような場合を想定する。
1.外付けUSBメモリ、または、外付けハードディスク(及びSDD)に、ubuntu Linuxをインストールした場合。
2.Linuxのインストールに失敗して、これからLinuxを削除したい。
3、Windows10から起動したい。
4、なぜならWindows10からLinuxを完全に削除したいからである。
わたしもこのケースに遭遇してしまい、ネットを検索したが、それほど分かりやすい説明が見当たらなかったので、メモ程度に簡単な方法を書いておく。
なお、Linuxインストールが失敗する場合は、粗悪なDVDRなどに(笑)ダウンロードしたLinuxイメージを焼いて、インストール途中にDVDからLinuxのデータがきちんと転送されなかった場合など。
まず、Windows10が起動した場合は、
方法A
デュアルブートから Ubuntu を削除する方法 | Windows10 と Ubuntu のデュアルブートからUbuntu を削除し UEFI ブートを修正する方法
以上の方法で、ubuntuを削除できる。
(各自、自己責任でお願いします!)
上記の方法で、ubuntuを削除した場合、ubuntuのブートローダであるgrubが消えずに残ってしまうことがある。(上記の方法を途中までやってしまった場合など)
また、ubuntuをインストールした外付けusbメモリを、パソコン本体から抜くと、grubの黒い画面が出て、Windows10が起動できないケースがある。
Windows10を起動して、その後ubuntuを削除したいのに、そもそもWindows10が起動できない!
そのような場合は、一旦Windows10を起動することが優先になるので、以下の単純な方法で、Windows10を起動する。
まず、使用しているパソコンのBIOSを、起動する。
BIOSはパソコンを起動して、f2かdeleteキーを押すと、大抵BIOSが起動する。
BIOSが起動したら、
fast boot
→enable
boot order
のところで、Windowsをカーソルに合わせて、選択し+ボタンを押す。
そうすると、Windowsがubuntuよりブートの順序が上に来るようになる。
この状態にしたまま、save&exitの画面に移り、エンターボタンなどを押すと、
yesにして、エンターを押す。
すると、ほとんどの機種のパソコンの場合、そのままWindows10が再起動する。
なお、この状態のままだと、ubuntuのブートローダーであるgrubは、まだハードディスクに残ってるままなので、そのまま放置するか(笑)、または、
もう一度Linuxをインストールしたい場合は、方法Aを行い、grubを削除します。
今回は、以上です。
ヨーガを実践する
さて、今回の話題はヨーガである。
現代日本でもそうでなくても、ヨーガを実践している人は、そこそこいるであろうと推測してしまう。
なぜヨーガなのか?
いや、わたしの場合は特にヨーガでなくてもよかったのだ。16歳からいろんなワークをたまにトライしてきた中で、ヨーガが今のところ1番、精神安定に「効果があった」というだけの話である。
1、どのようなヨーガなのですか?
シヴァ派のヨーガです。
シヴァとは
このような古代インドの神様であって、会ったことはないから、詳細は知りません。
実はヨーガは単一ではない。いろいろなヨーガの技法があります。
2、ヨーガはあなたにどのような効果を与えますか?
たまに、グーグル翻訳風の文章がはさまれるが、気にしないでほしい。
いわゆる痩身(痩せること)や、美容や、身体的な病気の快癒にはさほど役立たないと感じるのが実感です。
それというのも、そもそもヨーガのような、身体的なワークにわざわざやってきている人たちは、既にそれらの健康のステージが、「意識高すぎる」からである。
それらの人たちは既に健康に、意識高すぎて、雲の上でしか出会えない。
ヨーガの効果として、わたしがつとに感じることは、
よく眠れる。
3、ヨーガはどのような人に向いてるのですか?
わかりません。(笑)
しかしながら、瞑想体質というタイプは存在する。
4、マインドフルネスとの違い
カバットシン先生がインドやスリランカで瞑想を学び、提唱したマインドフルネスという瞑想がある。
それについては、よく分からない。
5、瞑想というワーク
瞑想とは、どのようなものか?
これについては、わたしはいつも同じような答えに戻ってしまう。
「キャンプファイヤーの焚き火をずっと見つめている心境」
世代が世代だと、炎よ燃えろが、ベストソングになってしまう。
今回は引用を敢えて避けておくが、瞑想とは「原始時代のMind」をプッシュする方法だと思う。
あなたがそれを瞑想とかんじればそれは瞑想だ。
6、瞑想の罠
私は、だいたい毎朝、6時に目が覚める。
起床時、先ず行うことはトイレでも歯磨きでもない。
瞑想である。
ヨーガ経典である「シヴァサンヒター」(ググっても内容は全く!出てこないので、本で読んでください)にのっとった「風の成就法」を始める。
ヨーガが危険なのは、こうした精神ーマインドワークを行うことで、そこが他の何より気持ちよく、安住の念を感じてしまうことである。
私などは気持ちよくて、何時間も実習していたことが過去にある。
なんとなれば、目をつぶってヨーガを実習しているだけで、まるで田舎のおばあさんの家に泊まっているような、「心の安らぎ」と「わずかに微笑んだ時の、穏やかな幸福感」が、ヨーガでは簡単に体感できるからだ。
ここまで簡単に「このレベルの安らぎ」を体感できるとは、ほとんど革命的であります。
これを簡単に体感できない人は心身のバランスがかなり深刻に、外部状況(ストレスが多い、など)がストレス強くなってるはずだと思います。
ヨーガは簡単に経験できる。
簡単に経験できないものは、世界に広まらない。
7、日常の意識としてのヨーガ
わたしはヨーガでなくてもよかったような中途半端な部類の、実践者である。ダメダメだ。
しかし歴史的には、ヨーガにも思想がある。これはまた語ろう。
ヨーガの経典ぐらいは目を通さない、とね、‥‥。
8、蛇足
今回は、ヨーガの話題そして私のしょうもない経験をとりあげたが、ヨーガであってもなくても、代わりない部分もある。
今回は、ここまで。
ubuntu touchを、スマホにインストール(その1)
2021年12/1、ubuntu touchを、スマホにインストールした。
ネットで検索して閲覧した記事の通りに、実行するとそのまま無事にインストールできたようだ。
このブログで文字の乱れや見にくさなどがあるかもしれないが、まだこのブログツールの使い方が分からないで摸索しているところである。
1、NEXUS5
今回使用したスマホの機種である。ありがちである。
元々は、わたしはNEXUS5Xを過去に使用しており、これにubuntu touchをインストールできると間違えて思い込んでしまった。
しかしながら、ubuntu touchはそもそもNEXUS5Xに対応しておらず、インストールは失敗に終わった。
そのリベンジとばかりに、NEXUS5を中古で購入して、都合合計一ヶ月要して今回インストールに成功した。しかし他の方が詳細なインストール方法をネットにupしておられるので、インストールのためには、この記事はさほど参考にはならないだろう。
2、そもそもの本来の目的。
わたしは普段はAndroidスマホを日常で使用している。全然申し分ないし、とても素晴らしい。しかし、わたしの個人的な願望として、スマホの上でプログラミングをしたい!というのが、本来の動機であった。
3、ubuntu touchのインストールのやりにくさ
理由はわたしにもまったく分かっていないが、NEXUS5ではAndroidのヴァージョンが6であればインストールが可能である。しかし他のスマホデバイスについては話は簡単ではないように思える。
場合によっては、その対象のスマホのAndroidのヴァージョンを工場出荷時に戻すための操作を行わなければならないようだ。
ubuntu touchのインストールを行う対象のスマートフォンがAndroidのどのヴァージョンであったら適切にインストールできるかどうか、ユーザーは事前に調べ尽くさないとならない。この点がストレスだ。
4、そもそもインストールは進行しているのですか?
ubuntu touchのインストーラーが起動して、正常にインストールが進行していても、インストールが進行しているのかどうかユーザーにはわかりにくい。
よく分からないので、とにかくじっと待つだけだ。こんなに待ったのは、Windows95の、全部フロッピーディスクのインストール以来です。
5、ubuntu touchのインストールに使用したパソコン
2013年発売の中古ノートパソコンを使用しました。Windows10。
わたし自身がよく分かって無いので、かなり推測だが、他の方のブログ記事の内容も合わせて思うところは、
ubuntu の公式サイトからダウンロードされるインストーラーは、起動した後インストール可能環境にインストールするために、後からアップロードされる。
7、実際の使用感
アプリがAndroidに比べて壊滅的に、少ないことを除いては、スマホosとしての動作はきちんと出来てると思いました。
8、一々英語の勉強になります
ubuntu touchのような、公式には、グローバルモデルではないモバイルosを調べてると、何度も英語のホームページを読まなくてはならなくなる。必然で(笑)
それゆえ、英語の勉強にはなります。
グーグル翻訳や、その他も万能ではないので、原文を目にすることが多し。
9、プログラミング環境
これはダメでした。
わたしはLinuxはgccなどのデフォルトで簡単に組み込めるプログラミング環境があると勘違いしていたのですが、ubuntu touchではこれはとんでもなく面倒くさい。
ubuntu touchでプログラミング環境を作るためには、かなり遠回りになります。
10、独特の可愛さ(笑)
見てください。
サードパーティ製の、無償osが動いてます。センスもあり、なんかかわいいのです。
洗練された現代版スマートフォンにはない雰囲気はあります。
11、その後。
ubuntu touchはどうも絶えず過渡期、つまり新しい試みをやり続けてるような感じの記事をネットで読んでます。
まず、X Windowへの、ubuntuの取り組みが意味不明。
12、結果よく分からない。
今回は以上です。次回はubuntu touchの実際の使用について。