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【哲学的な…】人間機械論を検証する(その2)

【哲学的な…】人間機械論を検証する(その2)

人間は、機械なのか?(笑)

 

この場合の議論で、「機械」というメタファーで呼ばれてる事柄がなにを示してるのでしょうか?そのとき、「人間は機械に似ている」または「機械的な、決定機構がなんらか存在して、人間は機械のような歯車で動いている」というようか意味合いであると、解釈していいと思います。

つまり、人間機械論は、

「人間を主語にした」決定論の一種であると、決めつけてもいいのではないか?と思えます。

 

決定論

 

決定論には、それが成立するとされる、いろいろなレベルやいろいろなレイアー(階層)があり、それらがその都度識者によって論じられているみたいです。

この決定論に相対するのは、勿論自由意思であり、この自由意思が「まぎれもなく厳然として存在している」ことです。

自由意思がふんだんに、絶え間なく存立している状況では、決定論はそれが機能していないと素直に考えても、矛盾はしません。

片や、自由意思など本当はないんだよ!あると思ったのぉ!?ということになれば、決定論の知られざる決定論的メカニズムで、多くの物事は決定されていると思ってもおかしくはないでしょう。

 

このとき、決定論が成り立つ事態または、成り立たない事態を、公式のように、ある形に落とし込みたいと考えます。

すなわち、入力x1、x2、x3…について、出力yを計算する関数Yがあり、

そのとき、入力Xについて、個々の入力の数値について、すべての出力が「一意に」決定する、

これが決定論であると、わたしは考えます。

したがって、このとき、入力x1に対して、出力はy1であり、入力x2に対して出力y2であり、……以下同様であります。

これに対しては簡単に数式化できます。

あとそれから、この関数Yに対して、出力y1、y2、y3に、「重みづけ」の数値を計算を与えるバイヤスBを加えます。

これは実は、AI(人工知能)が、パーセプトロンという数理モデルで、コンピューターの中で実装していることです。

以下、これを「AIからのパクリ公式」と呼ぼうと思います。(笑)

 

もしも、このとき、「いや、それはおかしい。決定論はもっと複雑なメカニズムで動くこともありえる」という反論も、予想されるでしょう。それもまったくありえる話しですが、そうなれば、今度はそうした複雑な、決定論的なメカニズムを「いかにして知ることができるかどうか」という、認識が可能がどうかというような、複雑な話しになだれ込まます。決定論を支持する人は、今度はいかにしてそれが見出されるかを説明しなければならない。

 

たとえば、今日わたしがあるところで、可愛らしい子供を目にして、微笑んだとします。自由意思があるならば、微笑まないこともできたということになります。

議論がややこしいのは、そうしたありそうなことの累積で、話しが決まるのではなく、常識的なありえることが多く起きても、自由意思と決定論の決着には、なんら資するとはないのは、簡単にわかります。

 

この本、

 

未来は決まっており、自分の意志など存在しない。 心理学的決定論 (光文社新書) | 妹尾 武治 |本 | 通販 | Amazon

 

は、決定論側の陣営みたいです。

 

また海外での調査によると、「高い知識と高い教養を持ってる人」は決定論に陥りやすいそうです。

 

また哲学的な意味での、「決定論と自由意思」については、わたしは哲学者インワーゲンの「帰謬論証」がかなり参考になると考えています。

ここのブログを参考にさせてもらうことにします。ここで哲学的インワーゲンの論証がわかりやすく紹介されています。

自由と決定論は両立できないか<心は実在するか1>: 独今論者のカップ麺

 

(続く)